・タイトルの「ASDでもADHDでもない「第三の発達障害」はあるか?」に答えるなら、あります。限局性学習症(SLD)です。ASDとADHDにSLDを加えて、広汎性発達障害という総称が存在します。でも、投稿者さんがお知りになりたい情報はこれではないかと思います。 ・発達障害とは別に、「社会的コミュニケーション症」がDSM-5に定義されています。5つの分類があり、「特定不能のコミュニケーション症」という、なんともざっくばらんとした診断基準が含まれています。お調べになってみるとよいかもしれません。 ・最近は、HSP(Highly Sensitive Person)という概念がよく語られるようになりました。外部からの刺激や感情を非常に深く受け取る、生まれつき感受性が鋭く繊細な気質のことで、心理学的な性格特性として定義されています。こちらも、一度セルフチェックをしてみると、自己の理解や分析に役立つかもしれません。 ・それから、IQは130前後とのことですので、単純に周囲の人間とのIQに差が生じてしまい、会話が成立しづらいのかもしれません。一般論ですが、「IQに20以上の差があると会話が成立しない」という言説があります。
下の人も仰ってますけど、名称やカテゴライズにこだわるより、まず自分自身の困りごとに向き合うことからはじめるといいと思いますよ。 発達の診断が貰えなくたって傾向がある人向けの本を読み漁ったって問題ありません。なんならそうい方向けの困り事解決本には「発達障害ではなくても、似た事で困っている人の助けになれたら幸いです」といった前書きが添えられています。困ったことがある人全てに向けた本です。長年生きづらさを感じているようでしたら既読かとも思いますが、今読み返すかもアリだと思います。 なんというか、わたしは筆者さんが発達障害という名称に拘っている節があると伺えるのが少し不安です。うつや休職経験があるレベルだから持ってないとおかしくないとか(確かに併発はあるあるですが)、障がい者雇用されたいとか、病名がつくことで生きづらいとか困っていると嘆いてもいい、辛さを肯定されたい、とかでしょうか。 例えばですが、うつは診断を貰っているなら病名で障がい者雇用は可能ではないかと思いますし、適した配慮事項で働けます。また就労移行支援サービスも利用者証が発行できれば利用可能かと思います。もしかしたらそこで改めて「自分が困っていること」に向き合うことができるかもしれないです。 再度になってしまいますが、まずはご自身の困りごとの軽減や解決を改めて探ってみてください。病名が付かなくても、あなたの生きづらさや苦しみはおかしいものではありません。 色々試してみて、どうしても病名が欲しい理由や必要があるのでしたら、もう一度改めて小さい頃の自分の情報など含めて持参して詳しい病院に行くといいと思いますよ。ご自愛ください。
どれくらいWAISスコアの下限と上限が離れているか知らないけども、セカンドオピニオンは依頼してみた?
今は鬼籍に入った人だけど、その人が大学生の頃に「俺は生きづらい!生きづらさについて研究しているはずの哲学者に俺の生きづらさについて教えてくれる先生を探す!」と哲学者に自分の生きづらさを問い続けたが、結局生きづらさについては何もわからなかった人がいた。 ある時、仏哲学者に「あなたは、この先一生、生きづらい。生きづらさがなくなることはない。」と言われて、一番納得したのでその先生について行ったという人の話を聞いたことがある。 人間、多かれ少なかれ生きづらさを感じるのが普通なんじゃないの?生きづらさに名前がついても、生きやすくなるかと言われたらそうはならない気がする。ADSなのかADHDなのか知らないけど、そこまで気になるならADS/ADHDの人向けの何か生き方対策みたいなのを先にしてみては? 外見が気になるなら、外見を整えるのが上手そうな友達に買い物について行ってもらうなり、お金に余裕があるならパーソナルコーディネーターに依頼してみるなり、個別具体的に不満なことを解決していった方がいい。
発言した人間に即座に「本当にいいの?」と聞いてみて反応を探ってみるのも良いと思う。 単なる会話の続きになるので会話も弾むし、実際どうなのかわかる。
向こうも信仰の一環でやってるから、心配しなくても「はっきりと」断れば基本的には来ないよ。来る人の場合は最悪まわれ右してでも逃げたほうがいいね
課題の取り違えが起きていませんか?
ブロッコリーを付け合わせにしても良かった気がする。 健エミュで書くことではない気がする。
精神的リストカットによってたのしめるなら行動を改めなくて良いのでは
何語でもあんまり良くないのでは? 叱るなら普通に叱ったらいい……
筆者にはなんとなく「言葉の定義への強いこだわり」のような特徴があるように感じられた。 気に入った特性であればそれを活かせる要素を育てたり環境を変えたりすればいいが、そうでもないなら「適当に流す」など「会話を円滑に回すことに特化した」会話方法を技術として身に着けていいかもしれない。
正直、何が言いたいのか今一つわからないのだが、テンプレートがあるのだからテンプレートに沿って情報を入力するべきだったのではないか。 人間には頭の中にいろんなテンプレートがあるものだと思うが、そのテンプレートがおかしいか、テンプレートに沿おうとする力が弱いんではないかと思う。自分や他人のテンプレートというのか思考の枠組みを読もうとするところが弱いんでは。
音ゲーマーってなんで異常投稿ばっかりするの?
長い長い
それは、度数が変わって新しいメガネを作った時に、 古いメガネで行うのがおすすめです。
これができるのすげえよ 尊敬する
めちゃくちゃ後悔してるのがタグで分かるの草
迫真性に富んだ記事
ママチャリでこんな漫画みたいな事になるのかよ…部活とかチャリとか、諸々お大事にな…
その手があったか……! 教えてくれてありがとう。
自分をコントロールできない状態の時は人と関わるべきじゃないね
最後の備考で怖すぎて泣いた
性欲によって人(特に男?)は優しさを偽れると見ると、示唆的だね…
これはまじ
最近のコメント
・タイトルの「ASDでもADHDでもない「第三の発達障害」はあるか?」に答えるなら、あります。限局性学習症(SLD)です。ASDとADHDにSLDを加えて、広汎性発達障害という総称が存在します。でも、投稿者さんがお知りになりたい情報はこれではないかと思います。 ・発達障害とは別に、「社会的コミュニケーション症」がDSM-5に定義されています。5つの分類があり、「特定不能のコミュニケーション症」という、なんともざっくばらんとした診断基準が含まれています。お調べになってみるとよいかもしれません。 ・最近は、HSP(Highly Sensitive Person)という概念がよく語られるようになりました。外部からの刺激や感情を非常に深く受け取る、生まれつき感受性が鋭く繊細な気質のことで、心理学的な性格特性として定義されています。こちらも、一度セルフチェックをしてみると、自己の理解や分析に役立つかもしれません。 ・それから、IQは130前後とのことですので、単純に周囲の人間とのIQに差が生じてしまい、会話が成立しづらいのかもしれません。一般論ですが、「IQに20以上の差があると会話が成立しない」という言説があります。
下の人も仰ってますけど、名称やカテゴライズにこだわるより、まず自分自身の困りごとに向き合うことからはじめるといいと思いますよ。 発達の診断が貰えなくたって傾向がある人向けの本を読み漁ったって問題ありません。なんならそうい方向けの困り事解決本には「発達障害ではなくても、似た事で困っている人の助けになれたら幸いです」といった前書きが添えられています。困ったことがある人全てに向けた本です。長年生きづらさを感じているようでしたら既読かとも思いますが、今読み返すかもアリだと思います。 なんというか、わたしは筆者さんが発達障害という名称に拘っている節があると伺えるのが少し不安です。うつや休職経験があるレベルだから持ってないとおかしくないとか(確かに併発はあるあるですが)、障がい者雇用されたいとか、病名がつくことで生きづらいとか困っていると嘆いてもいい、辛さを肯定されたい、とかでしょうか。 例えばですが、うつは診断を貰っているなら病名で障がい者雇用は可能ではないかと思いますし、適した配慮事項で働けます。また就労移行支援サービスも利用者証が発行できれば利用可能かと思います。もしかしたらそこで改めて「自分が困っていること」に向き合うことができるかもしれないです。 再度になってしまいますが、まずはご自身の困りごとの軽減や解決を改めて探ってみてください。病名が付かなくても、あなたの生きづらさや苦しみはおかしいものではありません。 色々試してみて、どうしても病名が欲しい理由や必要があるのでしたら、もう一度改めて小さい頃の自分の情報など含めて持参して詳しい病院に行くといいと思いますよ。ご自愛ください。
どれくらいWAISスコアの下限と上限が離れているか知らないけども、セカンドオピニオンは依頼してみた?
今は鬼籍に入った人だけど、その人が大学生の頃に「俺は生きづらい!生きづらさについて研究しているはずの哲学者に俺の生きづらさについて教えてくれる先生を探す!」と哲学者に自分の生きづらさを問い続けたが、結局生きづらさについては何もわからなかった人がいた。 ある時、仏哲学者に「あなたは、この先一生、生きづらい。生きづらさがなくなることはない。」と言われて、一番納得したのでその先生について行ったという人の話を聞いたことがある。 人間、多かれ少なかれ生きづらさを感じるのが普通なんじゃないの?生きづらさに名前がついても、生きやすくなるかと言われたらそうはならない気がする。ADSなのかADHDなのか知らないけど、そこまで気になるならADS/ADHDの人向けの何か生き方対策みたいなのを先にしてみては? 外見が気になるなら、外見を整えるのが上手そうな友達に買い物について行ってもらうなり、お金に余裕があるならパーソナルコーディネーターに依頼してみるなり、個別具体的に不満なことを解決していった方がいい。
発言した人間に即座に「本当にいいの?」と聞いてみて反応を探ってみるのも良いと思う。 単なる会話の続きになるので会話も弾むし、実際どうなのかわかる。
向こうも信仰の一環でやってるから、心配しなくても「はっきりと」断れば基本的には来ないよ。来る人の場合は最悪まわれ右してでも逃げたほうがいいね
課題の取り違えが起きていませんか?
ブロッコリーを付け合わせにしても良かった気がする。 健エミュで書くことではない気がする。
精神的リストカットによってたのしめるなら行動を改めなくて良いのでは
何語でもあんまり良くないのでは? 叱るなら普通に叱ったらいい……
筆者にはなんとなく「言葉の定義への強いこだわり」のような特徴があるように感じられた。 気に入った特性であればそれを活かせる要素を育てたり環境を変えたりすればいいが、そうでもないなら「適当に流す」など「会話を円滑に回すことに特化した」会話方法を技術として身に着けていいかもしれない。
正直、何が言いたいのか今一つわからないのだが、テンプレートがあるのだからテンプレートに沿って情報を入力するべきだったのではないか。 人間には頭の中にいろんなテンプレートがあるものだと思うが、そのテンプレートがおかしいか、テンプレートに沿おうとする力が弱いんではないかと思う。自分や他人のテンプレートというのか思考の枠組みを読もうとするところが弱いんでは。