5W1H+Then状況説明
Who(誰が) | 筆者が |
When(いつ) | 幼少期から実家から通学していた高校生の頃まで |
Where(どこで) | 実家で |
Why(なぜ) | 毒親である母親の育児ヒスと筆者のADHDの症状があわさり、常日頃から意味不明に怒鳴られ続け、また警察が筆者に会うために訪問しに来たことが不気味だったため |
What(何を) | 進学先や就職先を |
How(どのように) | 他県にした。 |
Then(どうなった) | 母親に会わないと言うだけで気分が良くなった。自分の稼ぎで遠方の病院に行けるよう になり、医師から母親に対するPTSD症状があるから会わなくていいと言われ、無意味な逃亡では無いと後押しされた。 |
前提条件
- 警察の訪問があった当時は不思議に思っていたが後々になってから周囲が児童虐待疑いで通報したと気づいた。 小学校の頃にもらったチャイルドラインの広告の「ご飯を与えられない・家に入れて貰えない」といったことが「うちは日常茶飯事だから」と考え虐待に類するものだと気づけなかった。 父親(毒ではない)の計らいで学校を卒業させてもらい、レベルに合わない就活に挑み金払いの良い企業に拾われたため、親と縁を切り逃げるには十分の稼ぎが得られた。なお、激務で少し病んでいる。
なぜやってよかったのか
- 母親に会うということが恐怖であり、共に生活する苦痛を味わう必要が無くなった。
- 大学の頃は「ちゃんと連絡はしなさい」と言われていてLINEを返していたが社会人になるタイミングで全てブロック・着拒をし、見張られているという感覚がなくなり気分が良くなった。
- 静かに生きることが出来るようになった。
やらなかったらどうなっていたか
- 1度失敗したので、もう一度首を吊って死んでいただろう。
- 母親を殺したかもしれない。
- 自分の意思で病院に行くことができず「お前はマヌケでバカだ」と発達障害や注意力欠如を理由に一生恐怖で支配されていた。
備考
- 筆者は習い事の都合で小学低学年から減量や食事制限を受けており、ただその習い事も母親のご機嫌取りの為が半々だったのでただ苦痛だった。
- 4人家族のうち、父親・兄弟が鬱、 自分は抑うつ障害になり兄弟は共に別の県へと逃亡した。
- 片親と祖父母がまともでまだ良かった。