5W1H+Then状況説明
Who(誰が) | 筆者の家族が |
When(いつ) | 大学進学で筆者が家を出るまで |
Where(どこで) | 家庭内で |
What(何を) | 筆者に対する子育てを |
Why(なぜ) | 代々続いている本家の長男である筆者に、父親のように立派になってほしいという思いから |
How(どのように) | 父親を理想像としてそれと並び超えるような人間になってほしいという思いで、「お前はこの高校に行くんだ」と幼稚園の頃から意識に刷り込んだり、勉強や部活の成績をすべて記憶の中で美化された小中学生時代の父親と比べた。 |
Then(どうなったか) | 筆者は小さいころから刷り込まれた意識で、自分でも薄々落ちることは分かっていたが「そうしないと家族に怒られる」という強迫観念から父親と同じ高校を受験した。 受験結果は失敗し母親は大泣きして「生まなければよかった」と言い、祖父は「こんなこともできないんじゃ死んだほうがマシだ」と言われ、それ以降自分に自信が持てなくなってしまった。 |
健常行動ブレイクポイント
- 両親は共働きで祖父母に育てられたような状況だった。祖父母が父親を育てていたのはその当時から30年以上前のことであるので、その当時に覚えていることは大半が良い記憶である。それに気づかずに「父親はこうだった、なぜお前はできない」とすべて否定することは年端の行かない少年に心に傷を負わせるだけの十分な理由になりうる。
- 幼少の頃より日常的に「〇〇高校に行って父親みたいになるんだぞ 」と言い、あまり頭の良くない筆者に「この家で生きるにはそれしか道がない」と思わせた。自分により適した選択肢を考える思考を奪ってしまうのは、その人間の成長を阻害してしまうことがある。
- 過保護・過干渉により「友達と遊ぶと馬鹿になる」と家から出さなかったり、交友関係を制限するのは好ましくなく、どうしてもやりたいというのであれば、他の家がどのようにルールを作っているかや親戚の家ではどうしていたかを元に家のルールを定めるべきである。筆者の家族が暮らした時代と現代では人の意識や時代の流れは違うものであるので、同世代との交流は自分がどのように生きていくかをつかみ取る貴重な機会である、それを自分たちが好ましくないという理由で取り上げるのは虐待と言われても差し支えない。
どうするべきだったか
- 子供の努力目標として父親を示すのは良いが、それが重荷になってはいけない。子供の人生は家族のものではなく、その子供のものであり、生き方や交友関係はあくまでも個人が決めるべきことである。
- 自分たちが生まれ育った時代とは違うということを念頭に入れ、現代の価値観はどうあるものかを知識として持っておくとよい。
- 努力が実らなかったとしても結果だけを見るのではなく、その過程を見て、褒められるところがあれば褒めたほうが良い。結果だけを見てただただ叱ることが続くと、子供は小手先の嘘で見てくれを取り繕うようになり、親の前だけでは良い恰好を見せるだけの道化師になってしまう。
備考
- 正月に帰省した時に両親と子育ての話になり、ここに書けなかった文も拾いながら30分ほどかけて話した。母親にも通じるように話したつもりだったが理解されず、同席した父はただただ話を聞くだけで終わってしまい、徒労感に苛まれた。しかし、次の日に父親と挨拶回りをしに二人で車に乗っていた時に、この話についての謝罪を泣きながらにされた。
- これが元で幼少期から自己肯定感が低く、自分に自信が持てなくなってしまっている。また、人の顔色を伺うようにもなり人間関係で苦労している。
- 自分の子供にはこのような道を歩んでほしくないと思い、子供ができたときには自己肯定感や自信を持てるようにしてあげたいと思っているが、自分が無意識に同様の動きをしてしまうのではないかと考えてしまい、子育てに恐怖がある。