5W1H+Then状況説明

Who(誰が)筆者が
When(いつ)大学二年生の時
Where(どこで)所属していた音楽サークルで
Why(なぜ)同学年が自分含め3人と少なかったこと、学業をほぼ放棄していた自分と比べて他の2人は学業が忙しそうだったことなどから「自分がやるしかない」と早とちりをしたため
What(何を)音楽技術中心にサークル全体をまとめる指揮者の役職を
How(どのように)引き受けた
Then(どうなった)人の目や感情を過剰に気にする性格故に指揮者として指導することも辛かったがそれ以上に練習の計画を決めたり先々のことを決める為に人と連絡を取り合うなどの事務仕事が苦痛で仕方なく、サークルのLINEが怖くなり、仕事や決め事を滞納させまくって結果指揮者になってから2ヶ月足らずで役職を下ろされた。最終的にサークルも辞めた。

前提条件

  • ・筆者は中学時代からその音楽を続けており、中学時代にも同学年が自分しかいなかったことから部長になったがそこでも後輩に嫌われたくない一心だけが先行して何の威厳も指針も持たない部長の風上にも置けない有様だった。

健常行動ブレイクポイント

  • パートリーダーをしていた時からかなりその仕事を重荷に感じていたうえ、中学時代の経験から人の上に立つ役職は向いてないと解っていた筈なのに「この先の自分が頑張ってくれるだろう」という意味不明な過信で問題を先送りにすることで、決めごとのプレッシャーから逃れようとしてしまった。
  • 自分ができないし他の同学年も無理そうなら例年にそぐわない何か別のやり方を提案する、という発想がなかった。
  • いざ引き受けたら引き受けたでちゃんと何か努力したり準備したりしていればまだ良かったかもしれないのを先延ばして何の努力もしなかった。「頑張ろうね」と自分用メモに書くだけでどうにかなってくれると思っていた。

どうすればよかったか

  • まず、自分には無理とハッキリ言うべきだった。断ることに勇気は要るが、後の自分に丸投げするにしてもじゃあ例年に沿えないとなった時どうしていくかを先輩と一緒に考えていこうとする方が余程楽だった。
  • もっと言うと、中高で人との関わりやマルチタスク等が苦手だとある程度気付いていたのだから大学では違うサークル、またはサークルに入らない選択肢を持っても良かった。「音楽じゃないことをしてる自分が想像つかなかったから」は惰性でやってますと同義。そもそも皆で一つの音楽を作る営み自体が向いていないともっと早くに気付くべきだった。

備考

  • たまたま同学年の1人に合わせの指導をしてもらった時、その人は演奏をよく聞いて直すべき点を的確に把握し伝えており、自分の何倍も指導が上手かった。そこで「あの時完全に早とちりしてたな」と気付いた。
  • 中高時代も何度も自分には向いてないんじゃないかと思う時はあったが、その音楽活動を好きだからと思い込むことで蓋をしてしまっていた。実際好きだったのは演奏される曲自体と自分が演奏の上手さなどを認めてもらえる瞬間だけだったのかもしれない。皆で一つの音楽を作るうえでは個人がどんだけ上手くやったところで全体に協調できなければ意味がないのに、普段の対人関係ですら空気のひとつも読めない対話も禄にしない奴にどうしてそれができると思えるのか。
  • 自分のキャパシティは想像以上に小さかったのだとこの大学生活で痛いほど思い知らされた。それを実感して今後はキャパに合った生き方をしよう、あと他人を過剰に気にするのやめようと思えただけでも遠くの大学に行った価値はあったと思うことにしている。