5W1H+Then状況説明

Who(誰が)自分が
When(いつ)高校生の時
Where(どこで)部活中
Why(なぜ)知人Xが友人Aのことを嫌いだと言っていたのを聞いたことがあったので
What(何を)Aに
How(どのように)Xがお前(A)のことを嫌いだと言っていたことを伝えた。
Then(どうなった)その場にいた別の友人Bにひどく叱られた。しばらく友人Aの顔を見るたび気まずい思いをした。
前提条件
  • 自分、A、B、Xはおそらく全員男性である。 Aは勉強も運動もよくできるが控えめなタイプ。Bも同様に勉強と運動がよくできるが、Aとは対照的に社交的な性格であった。 自分はAと同じクラスになることが多く、友人の中でもお互い親しい関係と思っていた(と私は考えている。向こうがどうかはわからないが、大学入学後も関係が続いている(後述)ことからも、単なる知人、というふうには考えていないと想定される)。ただ、自分はAのことを親しい友人と思う一方で、部活でも勉学でも全て私の上を行くAに嫉妬している部分も当時はあった。しかし、少なくとも彼は善人であるということは明言しておきたい。
  • Xは別の運動部に所属していた。勉強は不得手だがリーダーシップがあり、行事などにおいても常にその中心にいた。いわゆる「一軍」である。XとAはそこまで顔見知りではなかったが、その当時XがAに接近していた、あるいはそのそぶりを見せていたような記憶がある。ただ、接近するとは言っても、皆の見えるところで絡むことが多かった気がするので、まだ2人で喋るような間柄ではなかったはずだ。 一方で、Xと自分は学内の別のコミュニティに共に所属していた。Xによる「嫌いだ」という発言もそのコミュニティ内の内輪の会話で出されたものである。確か「行事に積極的に参加しないやつは嫌い」という発言の、その具体例としてAの発言が出たような記憶がある。XがAに絡むことが多かったことと、この発言の一貫性がないのが奇妙だが、私の記憶違いでなければ現にこうである。
  • おそらくだが、Xは私のことを、嫌うではないにしろ軽蔑していた。当時、私は明確に「一軍」ではなく、いわゆる「いじられキャラ」であった。往々にして、「一軍」と「いじられキャラ」の間には、「一軍」の人間が「いじられキャラ」をイジる、というコミュニケーションの方が存在する。そこでは、「いじられキャラ」の身体的、性格的特徴があげつらわれたり、あるいは「いじられキャラ」が賞賛されるような場にいれば、そこが彼にとって場違いであるといった指摘がなされる。こうしたコミュニケーションが交わされるからといって「一軍」と「いじられキャラ」の関係が必ずしも非対称であるとは言えないのだが、少なくともXについては、自分のことを本気で見下していたように思う。理由は明確でないが、なんとなく自分の「ノリ」の悪さであったり、あるいは「いじられキャラ」である自分がつい他人にへりくだってしまう姿勢が気に入らなかったのかもしれない。

健常行動ブレイクポイント

  • 基本的な原則として、人から嫌われていると知ると人は大なり小なり傷つくと思った方がよい。人から嫌われていると知っても全く気にならない人も中にはいるかも知れない。しかし、多くの人間はある人から嫌われていると知れば、自分のどこが悪いのか気になり、自分の一挙手一投足に対するその嫌っている人間の内心を逐一伺うようになってしまう。こうした精神状態で学校生活を送るのはやはり辛い。それに、そもそも自分に嫌な部分があると知って楽しい人間はいない。
  • 「〇〇が嫌い」とという発言は普通クローズドな空間、つまりその〇〇がいない場所でなされる。それは「〇〇が嫌い」とという発言は〇〇に聞かれないようにするという意図があるからであり、またそれを聞いた人々が「〇〇が嫌い」と言われていたことを〇〇当人に伝達しないという信頼のもとでなされる。その中で「XXが「〇〇が嫌い」と言っていた」と発言することは、そうした信頼を毀損する人物としてみなされ、大変危険である。今回の場合「〇〇が嫌い」と言っていた人物は「一軍」に所属していたため、危険度はさらに跳ね上がる。幸い今回の場合、XがAのことを嫌いだと言っていたことをAに伝えたことを、Xが知ることはなかった(はず)。 また、「XXが「〇〇が嫌い」と言っていた」と伝えられた人物、すなわち陰口を言われていた当人もそのダメージは大きい。表面的には友好的に振る舞っている人物が自分を嫌っているという事実は当人を傷つけるし、繰り返しになるが、そもそも人に嫌われているという事実自体知って嬉しいものではない。
  • これは今考えると本当に浅はかだったのだが、今考えると自分はあの発言によってAを傷つけようとしたのだと思う。もちろん感情とは複雑なもので、動悸がこれに限定されるわけではもちろんない。しかし少なくとも自分は「Xが君(A)のこと嫌いって言ってたよ」と言うことによって、AにXから嫌われているということを伝えることでAを傷つけ、また伝聞形式で伝えることで自分の手を汚さず、その上ともすればAがXのことを嫌いになるように人間関係を操作しようとした。今思い返すと、Bが怒っていたのはとりわけ「自分の手を汚さず」の部分ではなかったかと思う。

どうすればよかったか

  • 「XXが〇〇のこと嫌いって言ってたよ」という形式の発言は、とりわけ〇〇がその場にいる時はしないほうがよい。派生系として、そもそも誰々が誰々のことを嫌いだ、という話題は、誰々の部分が一人称にしろ二人称にしろ三人称にしろしない方が精神衛生上も良く、また合理的なのではないかと最近は考えている。
  • もし「XXが〇〇のこと嫌いって言ってたよ」と発言してしまった場合の対処法は非常に困難だ。自分の場合は幸いにして言われていた友人Aがこのことをおくびにも出さずにその後Xと付き合っていたからよかったが、もしこれを大人数でやってしまった場合、どうすればよいのかは今後の課題だ。また、信頼を毀損した、という意味では自分はXにも謝罪する責任があると思うが、Xに謝罪してしまうと私がこの発言をしたことが露見してしまい、私とXとの関係が大きく悪化する可能性があったため、このことは言わなかった。つまり、Xは私が告げ口をした事実自体をおそらく知らない。
  • 自分の手を汚さずに他人の感情を操作することは、うまくやる方法もあるのかも知れないが、素人は大概うまくいかないし、他人の感情を操作しようとしていることが露見すれば信頼を失うので基本的にしない方がよい。

備考

  • 友人Bが本気で怒ったのを見たのはこれがはじめてだった。友人Bに怒られてはじめて、自分がやったことの取り返しのつかなさ、罪の大きさが理解できた。今はBとは疎遠だが、本気で怒ってくれた友人Bには感謝している。
  • Aとの交流は大学生になってからも続いたが、自分のプライドの高さもあり、このことを友人Aに謝罪するには数年かかった。その数年の間、ずっと謝罪しなければいけないと思いながら接していた。謝罪の時は確か、「あれは言うべきではなかった」とか言って謝罪したような気がする。この言い方が適切かどうかは各人の判断に任せたい。Aはこの出来事を覚えていたものの、私を(表面上のことかもしれないが)許してくれた。現在もAとの関係は続いている。