心が弱い人は負の感情を利用したバズりを画策すべきではない
5W1H+Then状況説明
Who(誰が) | 筆者が |
When(いつ) | 数日前 |
Where(どこで) | インターネット上で |
Why(なぜ) | とある人物の行動に疑問を感じたため |
What(何を) | noteに |
How(どのように) | 批判的な記事を書いた |
Then(どうした) | 普段心の底から楽しんでたはずの日常や趣味の記事の百倍ものいいねが伸びて自分と世の中に失望した |
前提条件
- 普段の記事はせいぜい10いいねつけばいいとこである
- 対象はセクハラを繰り返していた
健常行動ブレイクポイント
- 対象の行動が社会的に許されることでないのなら非難する人を責める謂れはない
- 心が弱いのに人様を批判すること自体身の程知らずである
どうすればよかったか
- これまで通り好きな記事を書いてマイペースにいるべきだった
備考
- 批判といっても筆者はあくまで更生を願うものだったが、拡散した読者の中には対象の死や重罰を望む声が多数あった
- 批判は悪いことではないと思っているからこそ記事を書いた。
だからこそそれはその人の改善や社会全体の利益になるためにすることであり相手の破滅を願うのは違うのではないのかと思ってしまう
- その対象は今も自分が被害者であるという姿勢を崩していない。結局人を変えようなんて烏滸がましかったのか?
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Anonymous
インターネットで人を変えようというのは正常バイアスやらなんやらで理屈以上に難しいので、心身の安寧を考えるならそもそもやらないのが吉ではある でも烏滸がましいなんてことはない