コメントありがとうございます。筆者です
その件に関しては私のなかでまだ言語化が正確にできていないので曖昧な意見になってしまうのをお許しください。
トランスという言葉がその属性を性別二元論から逸脱した存在に自らを定義しているという指摘は間違っているとは言えません。しかし社会運動に置いてはそれがどんな属性についての運動なのか、そしてその属性がどんな状況に置かれているのかということを明確に示していなければ、それまでその属性を抑圧していた側がその運動を「曖昧なもの」「私たちだって被害者」として一蹴し、その態度を継続できてしまいます。
事実、前例として「BLM(ブラックライブズマター)」運動で「ブラック」と名がついているのは決して多人種差別黒人優位主義の表れではなく、それまで虐げられてきた「黒人」に焦点を当てた運動であるということを明確に示し、その重要性を再確認するものであります。
それを「オールリーブズマター」と言い換えることは、それが黒人のための運動であるにもかかわらず「みんなの命が大事だよね!」といった至って単純明快当たり前な一言に集約されてしまい、実際に活動している黒人の被差別的な立場を矮小化・不透明化してしまうという問題があります。
よって「トランスジェンダー問題」が収束していない現代社会において、またそれが収束したあとの社会の中でその歴史を繰り返さないために、「トランスジェンダー」という言葉が必要なのです。その言葉を否定することはその存在やそれに付随する苦しみや社会的問題の矮小化・不透明化であったり、そもそもトランスの地位向上に努めてきた全ての人々の否定になってしまいます。
稚拙な文章お許しください。これで伝わるでしょうか...?